みなさま、はじめまして。
じゅりあんです。
HAFU TALKまでようこそお越しくださいました。
ありがとうございます。
「もう、じゅりあんのこと知ってるよ!」というみなさま、こちらでもよろしくです。
このたび、吉孝くんとセシーさんといっしょに、本サイトの立ち上げメンバーとなりました。
満員電車に揺られてるときや、お1人でごはん食べてるとき、夜なんだか寝つけないときにでも、ご笑覧いただければ幸いです。
最近、Twitterで「電車内でPC作業してると横の人から丸見えだよ!気をつけて!」という話が話題になりました(話題のツイートはこちら)。
本サイトや本コラムは、拡散大歓迎なので、PCでもスマホでもSNSでも読んでいることを前後左右上下の人に向かってどんどん丸見えにしていただいてかまいません、ご安心ください。むしろお願いします。
さて、タメになることは吉孝くんのコラムにお任せして、
僕は自由気ままな、流し読みコラム担当部員としてほんわりと活動したいと思います(お2人に怒られない限り)。
初回ですし、飯テロ(主にラーメン)写真をひたすらあげるだけとかにしようかとも思ったのですが、さすがに初回。
やんわり怒られそうなのでやめておきます。
「私のポジション」
さてさて。
実は以前、『私のポジション――「沖縄×アメリカ」ルーツを生きる』という本の書評を琉球新報で書かせて頂きました。
琉球新報の記者である東江亜季子さんが悩み抜きながら、編まれた本です。
びっくりするくらい薄いですが、ずっしりと心に残る本です。
本の中身をざっくりとご紹介しますと、ハーフやアメリカ系ウチナーンチュと呼ばれる人々、14人のインタビュー集です。サブタイトルの通り、「沖縄×アメリカ」というルーツを生きるなかで、彼ら・彼女らが直面してきた出来事やその都度の想いが丁寧につづられています。
僕は以下の書評で、めっちゃめちゃ悩みながら、「余白」という言葉を使いました。
※書評はこちら
そして、この余白こそが、HAFU TALKのHAFUの部分にけっこー関わっています。
たぶん。
まずは僕の「ポジション」について簡単にご紹介してみたいと思います。
僕はいわゆる「アメリカ・ハーフ」です。
ハーフという言葉を使うかどうかも「いろいろある」のですが、いったん話を進めます。
書評の執筆当時はしがない大学院生で、今はしがない研究員と非常勤講師をしております。
(いまさらですが、大学院生に書評書かせる琉球新報社すごい…!)
「とくだん英語が喋れるわけではないが、顔立ちは西欧白人系のハーフっぽい」という、個人の意思ですべてを必ずしもコントロールできるわけではない要素に振り回されるなかで、僕の「ポジション」は形成されてきました。
そんな僕の「ポジション」と、先ほどの書籍に登場する人々それぞれの「ポジション」に、僕は余白があると書いたのです。
余白とは何でしょうか。
僕の両親は在日米軍の基地関係者ではありません。
そして、僕自身は基地に関連した壮絶なイジメや差別を経験したことはありません。
肌の色や髪の色で良くも悪くもなんやかんやと言われたことはありますが、「これは私の生まれ持った髪の色です」と証明を強いられる地毛証明書というパンチ効いた書類を書いたことはありません(髪型で怒られたことならありますが)。
一方で、
歴史の授業のあとに非国民や鬼畜米英と呼ばれ、身体的特徴やルーツにもとづいたイジメがエスカレートしたことなら何度もあります。歴史の授業自体は好きだったのですが、いつも第2次世界大戦あたりの話になると、手の汗が止まりませんでした。
(僕を非国民・鬼畜米英と呼んだ「同級生の友達」と偶然再会した話は、読んでみたい方がおられたら、そのうち書いてみたいと思います)
そういえば、真夜中にランニングしているときに職務質問を受けたこともありました(ほとんど明け方だったからかもしれませんが笑)。
僕は、『私のポジション』を読みながら、そこに登場する人々とのあいだに、余白としか言いようのない空間があるように感じました。
いわゆる「アメリカ・ハーフ」だからといって、彼ら・彼女らの経験が痛ましいほど全てまるっと理解可能なわけではありません。
でも、おこがましいかもしれませんが、ほんのすこし、感覚が「わかる」ような気がしたのです。
書くのがなんとも恥ずかしいのですが、実は、読みながら涙が止まりませんでした。
わからないのに、わかる。
わかるのに、わからない。
でも・・・。
なんとも言い難い感情に襲われながら、涙があふれたのです。
ページをめくるたびに、伸びたり、縮んだりする空間。
あるいは、距離感。
近しいのに、遠く、遠いのに近しい。
本に登場する人々とのあいだで、もやもやと漂う、余白としかいいようのない何かを、とりあえず僕はそう呼ぶことにしました。
そして、書評を書きました。
でも、今でも、余白という表現で本当によかったのかと悩んでいます。
「境界線」、
そして「余白」
ところで。
最近、岸正彦さんの『はじめての沖縄』という本を読みました(先生と書くべきかもしれませんが、文章が硬くなってしまいそうなので、ご容赦ください)。
文章もそうですが、写真もとっても美しい本です。真ん中あたりに登場する猫の写真が特に好きです。
ちなみに、児童書コーナーにありました。
沖縄の人々について多くの著作を書かれてきた岸さんは、本土のマジョリティ(多数派)の1人である自らと、沖縄の人々とのあいだに「境界線」がある、と表現されています。
その境界線があることを自覚した上で、本土のマジョリティという「ポジション」から、どのように沖縄の人々について語ることができるのか。岸さんは自問しながら、読者に問いを投げかけます。
楽しげな観光地としてのみ語るのでもなく、
本土と沖縄のあいだの非対称な関係を「無いもの」かのようにあえて語ってみせるのでもなく、
歴史的な出来事の一部を過剰にクローズアップしてロマンティックに語ってみせるのでもなく、
あくまでも、身近なありふれたことから、沖縄を「そのままのかたちで描き出す」ように語ることを、岸さんは提案されています(P.249)。
そのままのかたちで描き出すように語る。しかし、その言葉は「境界線に縛られる」(P.206)とも述べられています。
たとえば、沖縄には「大規模で凄惨な地上戦と、それに続く27年間の米軍統治」(P.145)があり、そして、地上戦のさなかにも、そして本土「復帰」後にも、本土に振り回されてきた経験があります。沖縄を語るときに、あらゆる人々が「縛られる」ように感じる境界線とは、上記のような歴史的・構造的なものです。
そう、「わたしたち」はいくつもの力学に右往左往させられながら「どうにもちがう人」として、それぞれの「ポジション」に立っているのだと思います。その「ポジション」からしか、わたしたちは言葉を発することしかできない。
それなのに、その「ちがい」や、「ちがい」を生み出し、維持する仕組みを、無いものにしたり、やすやすと飛び越えられるものとして考えてしまうのは、間違いなく危うい。
なぜなら「個々の人生において、その境界線を飛び越えたり、相対化したりするような経験」があったとしても、それでも「境界線は揺らぐことはない」からです(P.206)。どのような言い繕いをしても、そしてどんな人だって「越えた」と語ってしまうのは、やっぱり傲慢だと思います。
そもそも、「ちがい」を「越える/越えない」という言い回しを選択できるように思えるのも、余力をもったマジョリティだからこそ、なのかもしれません。
ある状況において、余力を奪われたり、自由のきかなさに直面しながら、なんとか「やりくり」をしているマイノリティから見れば、そんな言い回しの選択に頭を悩ませること自体が「マジョリティがいつのまにやら手に入れている特権」の1つなのかもしれません。
だからといって完全に沈黙してしまうのも、それはそれで・・・。
何かを語ろうとするたびに、どうしても、どうしたって、望んでいようといまいと、だれかを翻弄してしまう。
そうだとしても、まず、わたしたちは境界線に目をやりながら、そのそばに立つことはできるはず。
それならば、境界線のあちらとこちらに目を向けながら、できるだけ「そのままのかたちで描き出す」ように、語り始めるべきなのではないか。
『はじめての沖縄』に込められたメッセージを、上記のように僕は引き受けました。
「境界線を抱いて」と題された終章から、「抱く」ことではじめて生まれる、語りだすことのできる、新しい語り方がきっとあるはずだ、との岸さんの強い意志を感じました。
でも。
そこに「線がある」と明確にいわれたときに、すこし寂しいような、どうにもおそろしいような感覚も覚えました。
線。人間のあいだに幾重にも走る線がある。
「壁」とも表現される、境界線(P.243)。
マジョリティとして、沖縄と真摯に向き合ってきた岸さんだからこそ、あえて明確に、必要だからこそ――おそらく、境界線や「ポジション」に自覚的でない、あるいは自覚的だけれど「そのままのかたち」で語ろうとしない誰かを頭に思い描きながら――はっきりと書かれたのだと思われます。
でも、「線がある」と改めて言われてしまうと、近いような、遠いような、わかるような、わからないような、名づけようのない、もやもやとした、伸縮性のある余白のようなものが、ストンとどこかで断ち切られてしまって、その都度、伸びたり、縮んだりするように感じられる空間への想像力や、そのなかで右往左往する感覚を掴みそこねてしまうような気もしています。
たしかに、僕らのあいだには、線が走っているのかもしれません。
うっかり線の上に乗っかってしまって慌てたり、線の上から降りれなくて落ち着かずに泣いてしまったりすることもあるのかも。
線を踏み越えたと思い込んでしまったり、大幅にずけずけと踏み越えてしまったときに、近づけたと思ったはずの相手が足早に線を新たに引きなおしたり、より遠方に離れていってしまうこともありそう。
それこそ、「ハーフ」やその親は、線を行き来したり、乗っかったり、乗っけられたり、線を引き直したりしながら、「私のポジション」をその都度、微調整しているのかもしれません。
いや、微調整せざるをえないのかも、しれません。
そして、それはきっと「ハーフ」に限らない。
「半歩」
そういえば、僕たちは日々、思い切って相手に1歩ずつ近づいてみたり、近づきすぎたかなぁと1歩ずつ遠ざかったりしていないでしょうか。
いや、1歩というより、半歩ぐらいかもしれない。
えいやっと踏み込むのは気が引けるから半歩だけ近づいてみる。
ぐわっと離れるのもなんだかなぁと思って、半歩だけ遠ざかってみる。
そこからまた半歩ずつ微調整を繰り返しながら、僕らはいろんな人と、やっとこさ関係をつむいだり、ほどいたりしているのではないでしょうか。
バシっと引かれた境界線の手前で右往左往しているというよりも、地続きの空間のなかで、歴史的・構造的な何かや、時間的・空間的な何かや、理屈っぽいような、それでいて情緒的な何かによって、ぐいっと引っ張られたり、ほわっと誘い込まれたりしながら、遠ざけられたり、近づけられたりする。
その時々で、広がったり縮んだりしながら、人のあいだにどうしようもなく漂うものが余白で、僕たちはその余白に日々、頭を悩ませたり、ときめいたり、涙したりしているのかもしれません。
大阪のある串カツ屋で、吉孝くんとセシーさんからHAFU TALKというサイトの名前について「どう思う?」と尋ねられました。2人は迷っていました。
その迷いは、僕も感じていました。
僕らの日常の発音に近い読み方にするために、HALFではなく、ローマ字のHAFU。
こちらのほうが、身近な話題ができそうな気はします。
でも、ハーフという「くくり」に含まれない人は、あまりにも多い。
それに、ハーフと「くくられる」ことがイヤな人だっている。
ハーフという言葉にこだわることこそが、それこそ、線を引き、あるいは余白を広げてしまうことになるのかもしれません。
ちがうなぁとおもえば、いつでもサイト名を代えてしまってもいいと思う。そんなことを考えながら、僕は「1歩はしんどいから、半歩だけ」といつのまにかつぶやいていました。
HAFUって表記は悩んじゃうけど、とりあえず、このサイトの名前のハーフって言葉の意味は、半歩の「半」にしてみたらどうかな。
そんなことを言った覚えがあります。
JR環状線を模した電車型の乗り物にのっけられた串カツを一緒に食べた時からはじまって、そのあとも何度も何度も話し合うなかで、「半歩」というニュアンスを込めて、ひとまず今のサイト名に落ち着きました。
まずは半歩から。
境界線があっても、余白があろうとも。
ところで、僕たちはことあるごとに「対話」の重要性を語られてきました。そして、語ってきました。
そりゃそうですよね。
はぐらかしたり、嘘をついたり、下に見たり、さげずんだり、嘲笑ったり、ちゃんと謝らなかったり、逆張りしたり、ディベートみたいに打ち負かしたりするばっかりでは、どうやらこの社会がうまく回らないらしいことを僕たちは頭のどこかで、あるいは感覚的にわかっているはずです。
だからこそ、対話が重要そうなことが、なんとなく、わかっている。
でも、対話には根気が必要です。
時間も、場所も、ちゃんと伝えるための練習も、ちゃんと聞くための練習も必要。
それに、あいだにあるかもしれない余白や、走っているかもしれない境界線のありかも、わかろうとしないと、フェアな対話にはならないのかも。
つまり、対話をするまでの道のりはけっこー長いし、その道のり自体がけっこー大変。
それもまた、僕たちはどこかでわかっています。
はぐらかしたり、嘘をついたり、下に見たり、さげずんだり、嘲笑ったり、ちゃんと謝らなかったり、逆張りしたり、ディベートみたいに打ち負かしたりするのが好きな人は、そういった「大変」さから逃げ出したいのかもしれません。
逃げ出したくなるのも、わからなくもありません。対話、大変だもの。
それでも、たぶん大変なことだからこそ、何か出てくるのかもしれない。
めんどくさそうなのに、大事そうなこともどこかでわかってるから、僕たちはずっと対話について考えたり、それこそ対話について対話してしまうのかもしれません。
でも24時間365日、1歩踏み出し続けながら対話するのはしんどそう。
境界線のそばに立ち続けるのも大変そう。
余白を縮めるのも息切れしそう。
だからこそ、とりあえず、半歩。
もし途中でしんどくなってしまったら、半歩離れても、もしかしたら、時にはいいのかも。
いける、と思ったら、また、半歩近づいてみる。
でも、半歩踏み出したり、離れたりできるのは、余力がある人だけなのかも。
それは、たぶん、そう。
でも、どうにかこうにか半歩ずつ微調整しあうなかで、ちょっと何かプラスなことが、ぽこっと出てきたら嬉しいような。
ガッツリ1歩は大変そうで、どこかで息切れしてしまいそう。続けれないかも。
それなら、半歩ずつでも、少しずつでも、気長に続けられるものがあっても、いいんじゃないかな。
そう思えば、半歩という意味が込められた「HAFU TALK」という名前も、ベストではない気もするけれど、ベターではあるかもしれないな、と今は思っています。
境界線が走っているかもしれないし、余白はなかなか縮まらないかもしれないけれど、
だからこそ、とりあえず、半歩から。
いっしょに半歩踏み出してみませんか。
ほかならぬ、あなたからの半歩、心待ちにしております。
気づけば、すっかり長くなってしまいました。
初回は、このあたりで。
5月なのに気温が30度を越えそうな大阪で、朝からラーメンを食べながら。
ライター:ケイン樹里安
Twitter: @Juli1juli1
【参考文献】
東江亜季子, 2017, 『私のポジション――「沖縄×アメリカ」ルーツを生きる』琉球新報社
▼書誌情報は出版社サイトへ
岸政彦, 2018, 『はじめての沖縄』新曜社
▼書誌情報は出版社サイトへ
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