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「やっぱりどうしても、マイノリティが強くいなきゃいけないみたいなのを求められてるのが」バーヌさんインタビュー

更新日:2023年2月10日

バーヌさんは、大阪で生まれ育ち、日本とスリランカのルーツを持っています。講演会でお会いした縁で今回お話をうかがいました。宗教、「人種や民族」、文化、ジェンダーなど、さまざまな要素が交差する社会での経験についてお聞きしました。


(この記事は、書籍『「ハーフ」ってなんだろう?あなたと考えたいイメージと現実』に掲載されているインタビューのロングバージョンです。書籍情報は記事の最後に記載しています。)


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――保育園や幼稚園、その後小学校などの経験についてお聞きしてよいですか?



保育園に通っていて、覚えていることは、宗教的には食べ物が一番…。保育園は作ってくれてたんですよ、私のためだけに。今日はみんなはハンバーグだけど、私だけエビフライとか。別メニューを作ってくれてたので。その時は自分だけが違うというよりは、自分だけが違うということの優越感みたいなものを感じてた記憶あります。私だけ、別メニューみたいな。ご飯の配慮をしてもらったのはすごく嬉しかったですね。逆に小学校ではそれをしてもらえなかったので。一応給食はお金払って、みんなと同じように。献立見て、食べれないやつはチェックして、先生に提出してましたね。食べれないものの代わりになるものをお母さんが持たせてくれて。でも、母も働いていたので、忙しい時はお弁当がない時もあったし。私自身も、そういうお弁当を持っていくのが恥ずかしい時期もあったので、その時はいらないって言ってましたね。先生によって配慮が全然違っていて。食べれないものがあったときに、違うものを多めに入れてくれる先生もいるけど、毎回毎回説明しなきゃいけない先生もいました。


イスラム教の特に女性は肌の露出がよくないので、小学校は制服がある公立の学校だったんですけど、制服のスカートの下は靴下を長く履いて肌を見せないようにして。体操着とかも、暑くても長ズボン履いてましたね。プールもスクール水着はすごい露出じゃないですか。プラス、男の子と一緒に入るということで、絶対ダメってなって、六年間ずっとプールは見学してて。保育園の時はプールはすごく好きだったんですけど、小学校で六年間ずっと見学だったからか、だんだん水に入るのが怖くなってきて。気づいたらあんまり入るのが好きじゃなくなったんですけど。妹が5歳離れてるんですけど、妹の時は学校側もスクール水着じゃなくてもいいよって、ウェットスーツみたいな袖の長い水着をきてもいいってなってたので、妹からはプールに入って授業受けてましたね。そのきょうだい間のギャップも、後からしんどいなみたいな。妹が入れるのをみて、「えっ」ってなってましたね。きょうだいの一番上だったので、子育ても手探りでやってるのもあったし、父もスリランカの文化とかイスラムの概念みたいなのが強い状態で日本に来て。でも日本に長く暮らすうちに、日本の文化ってこうなんだなってことをわかってきたのか、きょうだいも下にいけばいくほど、「日本だったらこういうもんで、しかたないよね」みたいに、考え方も柔軟になってきて。なので、いまはあんまりうるさくなくなったんですけど。当時は厳しかったので。きょうだいの下に行けば行くほどゆるくなっていったところがありましたね。


――断食もされてたんですか?


ちょうど二年生のときに、いとこが家族で来てて、そのいとこと学校で一緒にやってました。ラマダーン(断食)の時期は、給食の時間になったら保健室でいとこと集まって。保健室の先生がすごく優しい方だったので、その先生が塗り絵とか用意してくれて、3人で塗り絵して遊んだりとか、トランプして遊んだりしましたね。全然しんどくなかったというか、むしろ楽しかったですね。でも、いとこの上のお姉ちゃんが合わなくなって、家族でスリランカに帰って行きました。その後からは毎年ラマダーンは自分でやっていくようになりましたね。保健室じゃない時は職員室で本を読んでいたりとか。教室にいてもいいんですけど、教室にいるとしんどいところがあって、お腹もすくし。それが嫌だったので、他の部屋に行ってましたね。


小学校二年生の時に一回転校したんですけど、あまり知らなかった子の一人からすごくいじめられてて、転校したばかりの時は。それはハーフとして見た目的にあれだったからか、気に食わなかっただけなのか、わからないんですけど。そういうのはありましたね。あと、質問攻めですよね。転校するまでは、あんまり自分がハーフっていうことを意識したことがなかったんですけど、ちょっと違うなというぐらいでハーフっていう概念も頭になかったんです。転校した学校ではすごく、「バーヌちゃんってハーフなの?」とか「目が大きい」とか、すごくそういうことを言われた記憶はありましたね。自分は父が外国人で母が日本人であるからハーフってことなのかなってなんとなく思って、「あ…多分」とかって言ってましたね。それまでハーフっていう言葉を知らなかったので、そういう質問から、どういう意味なんだろう?っていうのをすごく考えてましたね。



名前も「なんでカタカナなの?」とか「どういう意味」とか。「お父さん何人なの?」とか「英語喋れるん?」「喋ってみて」とか。あとは食べ物で、「豚食べたらどうなるん?」とか。そういうのがありました。でも転校先の学校は6年生までクラスが一つしかなかったので、そういう質問も年々減っていくというか。みんな、聞いて、それを覚えて、わかっててくれるっていう意味では楽ではあったんですけど。最初はすごかったなっていう。


――中学校の頃の経験はどうでしたか?


中学校は私立の中高一貫の女子校でした。女子校っていうので父はだいぶ安心してたというのはありましたけど。イスラムは恋愛関係も厳しかったので。スリランカの仏教の文化的にも厳しくて、スリランカの学校は全部男女が別れてるんですよ。むしろ共学がないみたいな。父にはそういう感覚もあって、女子校に行ったほうがよいっていうのがありましたね。


スカートも自分だけ特注でちょっと長めのを履いて、靴下は指定の靴下が短かったので、肌を見せちゃいけないということで、タイツの上から指定の靴下を履くようにして最初通ってました。でもタイツも、自分の肌は色が濃いほうなんですけど、タイツはベージュの白いものしかなくて、足の色だけ違和感があって、そういうところを見る子は見てて、先輩とか。すれ違いざまに「なんであの子、スカート長くない?」とか「なんでタイツ履いてるの?」とか、通り過ぎる時にコソコソ言われたりとか、直接言われたりして、そういうのもしんどいってなって。その後から、長い靴下を履いてもいいですかって学校に言って、学校のマークが入った特注の靴下を作ってもらって途中からはそれで通ってました。先生の中で、風紀を気にする先生には、遠くから、「そこ、靴下長いわっ!」ってめっちゃ言われて。「えっ私のこと?」ってなって、先生が近づいてきて、「あ、おまえか」ってなったりとか。そういうのが何回かあったので、ストレスというか。ちゃんと学校側に許可もらってたのに。制服問題はありましたね。服装については親からも言われてたんですけど、その頃から自分でも気にするようになってきて。体操服も長袖のジャージとかを着ていて。同じ同級生の子から「暑くないの?」って聞かれたりしてましたね。


ヒジャーブも、親からつけろつけろってずっと言われてて。小学校五年生のときに、あまりにも父がうるさかったので、つけて行ったんです。つけていったら絶対みんなからは何か言われるだろうなって思って。「なにそれ?」とか「なにその被りもん!」みたいな、そういう反応されるのを覚悟してたんですけど、先生に何か言われる覚悟はしてなくて。ヒジャーブを着て、登校して、一番最初に笑われたのが先生からだったんですよ。先生から「なにそれ?どうしたん!」って笑われて…。そこでもう、パッてヒジャーブをとって。みんなもその光景を見ると、先生が笑ってるものはおかしいんだって子どもたちも思うじゃないですか。それで結局その時周りの他の子からも「何持ってるの?」「何つけてるの?」ってなってしまって。それで、もうそれ以上はつけれなかったですね。いまでもヒジャーブをつけてると電車とかで、自分が笑われてるような気がしちゃって。今でもヒジャーブをつけることに葛藤していて。女子校の中ではあんまりする必要はなかったんですけど。中高では、つけていかないと父から嫌な顔されたりするので、家から出る時は緩く巻いて、駅まで送ってもらって、駅ついた瞬間脱いで、みたいな(笑)。で学校行って、帰りはまた、最寄り着いたら巻いて、みたいな感じて。そういうのしてましたね(笑)。



中学校では、どっちかというと周りからは「ハーフいいな」って感じだったんですけど。ただ一年生のときに、ずっと自分だけ一ヶ月ぐらい友達ができなくて。教室でもお昼は一人でご飯食べてて。やっと一人話しかけてくれたんですけど、その子に言われたのは、「今まで、何語でしゃべりかけたらいいのかわからなかった」って言われて。えっ、そこ?ってなりました。授業で私、日本語で答えてるやん、って思いました(笑)。なるほど、そういうハードルがあったのかっていう。友達ができるのはいつも遅いですね、大学でもそうでした。


そういう制服のこととかで、風紀関係の先生とうまくいかないっていうのはありましたね。校則に厳しめの先生とはうまくいかなかったですね、学校側から許可をとってるのに、毎回注意されたり。


見た目のことでは、周りからどう言われたということはなかったんですけど、自分で一番気にしてたところはありますね。目とか、身体のパーツについていろいろ言われる時に、やっぱり自分はみんなと違うからとか。肌の色をちょっとでもみんなに同化させるために、すごく美白クリーム使ってみたり。あとは、毛が濃いのがコンプレックスだったので、小学校高学年ぐらいからお母さんに言って、脱毛クリームを試してみたり。みんなは褒めてる意味で「いいな」って言ってくるんですけど、多分それを裏返しに、気にするようになっていって。自分は「白くて綺麗」みたいなことを言われたことはないけど、隣の子がめっちゃそういうことを言われたりしてるのをみて、「私そんなん言われたことないな」みたいな、自分の肌をみて。「日焼け止めを塗らなくていいから、いいね」って普通に言われたりとか。こっちは焼けないからとかじゃなくて、めんどくさくて塗ってないだけなんですけど(笑)。そういうふうに言われると、それって肌の色が濃いから言われるのかなとか。自分が結構気にしてたのかもしれないですね。


――受験のことや、大学のお話も聞いても良いですか?


自分の小中、あと高校の最初ぐらいは、周りと同化するためにすごく頑張ってたんですけど、それがふと、高校二年生ぐらいに受験のことと、アイデンティティのことで自分に負荷がガンときてしまって。それで、高二の二学期ぐらいから不登校ぎみになって。アイデンティティクライシスと、自分の将来と親の願いとのギャップが、同時にきて。でも、親は厳しかったので、無理やりにでも学校に行かされてたんですけど。今考えると若干うつ病のような状態だったんですけど、高校2年の不登校ぎみだったころから大学の始めぐらいまではそういう状態を繰り返してました。親も当時は「うつは、甘えだ」っていう考えで。「お前が弱いからだ、もっと強くなれ」みたいな感じだったので。母も、心療内科に一回連れていってくれて、諦めさせたかったというか、ほら意味なかったでしょみたいなことを言いたかったのか。二年生ぐらいの担任の先生も合わなくて、先生も全然フォローしてくれなかったというか。周りと違いすぎる自分が、その時にすごく。ハーフとかもそうですけど、宗教的な意味でも。押さえてたものが、きたという感じでしたね。出れる授業は出て、出れない授業の時は保健室にいったり、図書館にこもったりとかしてて。その時に、不登校ぎみだったときに、心理学とか哲学の本とかを読むとすごく安心したので。みんなからは「病んでるの?」って言われたんですけど、自分ではそういう本を読んでて自分が安心できたので。そこから心理学に興味を持ち出して、大学で心理学を学びたいってなって。親にも最初は反対されたんですけど、でも大学は心理学のところ一本で受けて。その大学に行くことになりました。



大学でも服装とか気にしてましたね。留学生とかに間違われることが多かったので、周りと同じ服装に合わせようと努力してて。授業が終わった後とかにも先生から、「僕の日本語で大丈夫か?」って聞かれたりとかして、全然大丈夫ですけどって思いながら。留学生に間違われることが多かったので、服装はみんな寄りにしてたらそういうふうに思われないかなって。いまではカジュアルな服を自由にきてますが、その時は周りに合わせてましたね。大学入りたての時は身体的にも、顔とかも少しでも目立たないようにマスクして大学通ったりしてました。


大学も最初の方は友達できるのに時間がかかりました。最初の自己紹介でもやっぱり、ハーフでっていう話になるので、自己紹介終わった後男の子から、「おれ、ハーフの友達ほしかってん」って言われたりとか。絶対お前とは友達にならんぞ、と思いながら(笑)。やっぱり、どうしてもアクセサリー感覚で見られてるような感じがありました。自分より先にハーフでしたよね、見られてるものが。



大学入って恋愛できる環境になって、気になる人が一人できたんです。向こうはそんなに意識してなかったんだけど、こっちが意識してるっていうことを言う機会があって。向こうもそれを嬉しいみたいに思って、それを言ってから向こうからのアプローチがすごくて。でもまだ付き合うっていう話はしてなくて。でもまだ宗教の話はしてなかったので、イスラム教は恋愛に厳しいところもあり、食べ物の件もあったので、そういうのを言ってから告白しようって思ってて。当時仲良かった友達にそれを相談して、相手にその話をする機会を作ってもらって、自分はこういう宗教でこういうのがあるからみんなと同じことができなかったり、あとはみんなにはないことができるし、そういうふうに言ったんです。そしたらそれを伝えた後に、パタンと連絡がこなくなって。あからさまじゃないですか…。それにもムカついて。「なんで連絡くれないの?」って聞いたら、「自分はそれを受け入れる自信がない」って言われて。その時に、ハーフっていうのはみんなにとって受け入れてもらえてアクセサリーとして好まれるけど、宗教は全く逆というか。それでやっぱり、受け入れてもらえない、むしろやっかいな要素なんだっていうのをその時に気付かされて、すごいショックで。ハーフっていうアイデンティティ性と、イスラムっていうアイデンティティ性が、世間的なイメージが真逆に近いというか。それで結構、ハーフ性は出すけど、イスラム性は隠すとか。「ここでは言わんとこ」みたいな使い分けはありますね。その経験があってからは使い分けたほうがいいのかなって。ハーフは隠したくても隠せないですからね、見た目とかで。名前もあったので、どうしても隠せないですね。


この人だったら理解あるし、わかってくれるし、今後も仲良く続けていきたいなっていう人にはこういう宗教の話もするけど、そうじゃなかったら普通に「お肉嫌いなんで」って言ったり。



その後、大学院にも行きたかったんですけど、受け入れの先生が見つからなかったのと、経済的に厳しかったっていうのがあって。大学院に入りたいけど、それまでは働こうと思って、就活をしたんですよ。そしたら、就活でレイシャル・ハラスメントがすごくて…。あと、レリジャス・ハラスメントって私は言ってるんですけど、宗教的なハラスメントも酷くて。履歴書を持っていくじゃないですか。一番最初に履歴書を出して、面接官の人がきて、最初の一言が、「日本人より日本語上手ですね」って。ははは。「綺麗ですね、字」「日本人より、書く字がうまいね」みたいな感じで始まって。私も自己紹介をしたんですけど、向こうも、「失礼だったらごめんね」みたいに言って、「ずっと日本で生まれて育ってきて日本語も上手だけど、なにか日本語を習得するために頑張ったことありますか?」って言われて。いや、失礼だと思うんだったら、聞くなよと思って。他にも、ベンチャー企業だったんですけど、「うちは、ミックスの人とか全然受け入れてますんで」みたいな。本当にウェルカムしてたら、わざわざ言わないよねって思って。あとは、宗教的なことですよね。私はヒジャーブをしてないんですよね。そのことで、「バーヌさんはヒジャーブをしてないけど、宗教は緩いほうですか?」みたいに言われて。見た目で信仰が緩いとか強いとか関係ない人にそういうことを言われるのがすごく嫌で。「企業としては礼拝時間とか、食べ物とか配慮しかねますけど、大丈夫ですか?」って、こちらが配慮して欲しいと言ってないのに、働いてて途中で言われたら困るから最初から言っておこうみたいな。あとは、ハーフのことで卒論を書いたんですけど、ハーフっていう呼称を本人たちがどう思ってるのかっていうのを研究したんですけど、それのことを履歴書に書く欄があって書いてたので。それに対して、「バーヌさんはハーフであることを嫌だと思ってるの?」みたいに聞かれて。病院の受付だったんですけど、「病院の受付にいろんな人が来て話さなきゃいけないし、地域的におじちゃんとかおばちゃんとかは見た目のこととかについていろいろ言ってくるかもしれないから、メンタル強くなきゃね」みたいな感じで言われて。「結構、自分のアイデンティティに対してネガティブなほうなの?」とか聞かれて。「ポジティブに捉えて、ポジティブに返していかなきゃダメだね」みたいに言われて。一番しんどくて、その面接が。やっぱりどうしても、マイノリティが強くいなきゃいけないみたいなのを求められてるのが。それと、マイノリティ性をポジティブに捉えて、明るく生きていこうみたいな。そういうのめっちゃ嫌いなので。それが嫌いっていうのもあるし、それができない自分にもイライラするし、それを求められるのもイライラするし。それで、号泣してしまって。それで、就活やめるっていって。就活は、メンタルがもたないです。


今は、夫がもともとイベントとかをやっていた場所で、知り合いの方に紹介してもらって、NPOの施設で働くことになりました。人権系だったので、そういうマイクロアグレッションもなく働きやすいのかなって思って。地域の子ども達の学習支援とか、若者の就労支援とか、そういうことをやっている場所です。職場でも、人権系なのであるマイノリティに関してはすごく知識も理解もあるんだけど、別のマイノリティに対してどうしても見えてないところがあったりして、先日は私が別の職員と一緒に職員向けにマイクロアグレッションについての研修をやったりしました。地道な活動ですけど。職員の中でも地域の中でもいろんな人権のアンテナを伸ばせたらなって思います。私も理解が及んでないテーマがあるので、お互いそういう部分を補い合えたらいいなと思っています。



――あと、たとえば、街を歩いてる時とか公共のスペースでの経験ってありますかね。


そうですね、それこそ、本当に普通に道を歩いてて、知らないおじさんから「国帰れ」って言われてツバは吐かれたり。あと、ミックスルーツの子と3人ぐらいで集まって話してたら、知らないところから、「え、日本語やん!」みたいな声が聞こえたり。私の妹は、全然知らない学校の男の子から、歩いてる時に後ろからいきなり蹴られて、「国帰れ!」って言われたりとか。やばすぎて、妹は「なにがあった?」って、そのとき頭が真っ白になったって言ってて。そういうのはちょくちょくありますね。自分だけじゃなく、きょうだいも経験してる。あとヒジャーブをしてお店に行くと、ほぼ100%ぐらい英語で話しかけられますね。大阪のおばちゃんぐらいですよ、日本語で話しかけてくれるのは。外国人観光客が増えてるっていうのもあるんですけど、自分もそっち側にカウントされてるっていう。そういうのもあって、ヒジャーブをつけると完全に外国人扱いされるので、そういうこともあってつけるのがいやですね。まだ、ハーフっていう概念とかカテゴリーは日本人に近いと、自分も感じるし、相手もそう思ってるんだろうけど、ムスリムとかイスラム教っていうとものすごく他者化されるところがあって。扱われ方とか反応も変わるので。それが嫌で、ヒジャーブをつけたくないっていうのはあります。



――ありがとうございます。最後にこのインタビューで伝えたいことってありますか?


そうですね。例えば学校の時は、自分のことを説明してくれる人がいなかったというか、全部自分で説明しなきゃいけなかったので。こういう理由で、こうしてほしいんですって全部自分で言っていたので。先生に自分が説明して、それを時間を使って、先生がみんなに説明してくれたりとか、そういう機会があったらよかったんじゃないかなって思います。



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●本インタビューの内容は、桂悠介・バーヌ「日本の学校とイスラーム」教育科学研究会『教育』2021年6月号(No.905)に掲載の内容と一部重複しています。


●バーヌさんはnote「わだかまり~女でハーフでムスリマで~」でも記事を執筆しております。ぜひこちらもご覧ください!リンクはこちら



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インタビュー:下地 ローレンス吉孝

(※この記事は、書籍『「ハーフ」ってなんだろう?あなたと考えたいイメージと現実』に掲載されているインタビューのロングバージョンです。)



◆書籍情報◆


「ハーフ」ってなんだろう?あなたと考えたいイメージと現実

平凡社、4月21日発売予定

本体価格1,600円

目次

第1章「ハーフ」の問題は社会の問題なの? 

1 社会の問題として考えるってどういうこと?

2「ハーフ」の日常ってどんな感じ?

第2章それぞれの経験が複雑ってどういうこと?

第3章「ハーフ」のイメージと現実は違うの?

1「ハーフ」の歴史は日本の歴史なの? 2「ハーフ」のイメージはどうやって作られたの?

第4章「当たり前を問い直す」ってどういうこと?  

1差別ってなんだろう?  

2だれも「偏見」から逃れられないの?

第5章メンタルヘルスにどう向き合うといいの?


●各章の間に多くのインタビューを掲載しています!

●一人一人の経験、差別、社会構造と歴史、メンタルヘルス、人権など。ぜひお手に取り下さい。

出版社(平凡社)の書籍情報はこちら







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